岸基史ゼミ活動日誌

同志社大学経済学部岸ゼミナールです!里山きゃんぱす(奈良)での里山保全活動や物販活動など日々の活動を報告しています!

6月6~7日「海の家」と「山の家」

笹本さんが6日に「海の家」で一泊、翌7日に「山の家」で母屋の片付けと離れ屋のリフォーム作業をしました。

「鱚釣りをする魁惺 」と「 蟹と根競べをする笹本さん」    向こうに見えるのが犬ヶ岬



衣類を片付ける笹本さんと魁惺  破れたふすま紙の裏には昭和4年の新聞紙が貼られていました

 

着物が包んであった包装紙には「京都府竹野郡丹後町竹野」と印刷されていました。「竹野郡丹後町竹野」は、昨日泊まった「海の家」のある京丹後市竹野の旧名で、丹後縮緬の生産地です。昨日も竹野では自動織機の音がしていました。

「山の家」がある南丹市美山町の旧名は「北桑田郡美山町」です。地名の通り養蚕が盛んで桑畑がたくさんありました。「山の家」の先々代はこの地域で養蚕の指導をしておられた地元の名士でした。 

笹本さんが来て下さったお陰で、経済の基本である「衣・食・住」の「衣」における「海の家」と「山の家」のつながりについて書くことができました。「食」と「住」については機会があれば書こうと思います。

                                    (岸)

 

 

 

 

王さん来たる

2024年度のEWPを受講していた王さんが、友達の結婚式参列のためオーストラリアから来日しました。そのついでに里山きゃんぱすに行ってみたいとのことで、5月25日夜、東京から拙宅にやってきました。里山きゃんぱすが閉鎖されたこと、代わりに岸ゼミ海の家・山の家として「京丹後竹野・海の家」と「南丹美山・山の家」ができたことを伝えました。王さんは里山きゃんぱすの閉鎖に大変がっかりし、とても悲しんでいる様子でしたが、それと同時に、代わりとなる海の家・山の家に興味を持ってくれました。海の家は少し遠く日程的には無理なので「南丹美山・山の家」と「生駒高山・里山きゃんぱす跡地」へ行くことにしました。

 

5月26日「南丹美山・山の家」

美山についてすぐ、近くにある「清流の里 湯浅楼」を訪れ、宿の中を案内してもらいました。その後、王さんは苗の補植をしようと言ってくれたのですが、着替えがないので代わりに床板を磨いてもらいました。スプリング日吉で温泉に浸かりながら昔話に花を咲かせて帰宅しました。

 

5月27日「生駒高山・里山きゃんぱす跡地」

王さんは感慨深げに里山きゃんぱすを見て回っていました。「こうしていると、向こうの方から作業をしている皆の声が聞こえてくるような気がする」と言った王さんの目は心なしか潤んでいるようにも見えました。成田から飛行機で帰国するという王さんを午後一番に近鉄新祝園駅まで送りました。

(岸)

5月25日「南丹美山・山の家」田植え(その2)

魁惺の小学校が代休日なので、友だちのコウタ君と一緒に田植えの続きをしに山の家へ行ってきました。コウタ君は虫取りの合間に田植えを手伝ってくれました。


欠株がまだあるものの、この田の田植えはひとまずは終了ということにしました。苗はまだ残っているので、泥んこになりたい方はぜひ遊びに来て下さい。

 

前日の24日には魁惺が床材を磨いていましたが、作業はまだまだこれからです。

(岸)

5月22日「南丹美山・山の家」田植え(その1)

リフォームしている山の家の離れ家の床材ができたとの連絡がありました。この日は新作さん(美山里山舎の小関さんの息子さん)が一人で田植えをするというので、その手伝いも兼ねて美山に行ってきました。

美山に着いたときには、山の家の向かいの田で新作さんがすでに田植えを始めていました。そもそもこの田圃は南丹美山・山の家に附属していたものの、岸が農家でないため買えなかったところです。小関さんが代わりに買い取り、新作さんが田植えをすることになったわけです。鍼灸の仕事の合間にこの田を含め8反の田の田植えを一人でするというのは結構大変です。向こうに見える家との間に由良川が流れています。田圃の手前側は泥が深くて田植え機が入らず、手で植えざるを得ない場所です。

 

田植え機の調子が悪いようで、途中から所々で条筋ごと欠株が出始めました。田植機が入れる場所の田植えを一通り終えてから残りを手植えすることになり、岸もそこから手伝うことにしました。

白い車の停まっている家が「南丹美山・山の家」の母屋、その隣のブルーシートが掛かっているのがリフォーム中の離れ家です。

田螺とお玉杓子が僅かにいる程度で、田圃の様子は生駒高山の里山きゃんぱすとは全く違うものでした。色々な生き物(もちろん子どもたちも含めて)がたくさんいる中でワイワイとガヤガヤと田植えができるようになれば楽しいだろうなと思いながらの作業でした。

床材は地元の松の木を製材してもらった無垢の板で、今後はこれをサンドペーパで磨き、油を塗る作業を自分たちでしていきます。

(岸)

5月16日「生駒高山・里山きゃんぱす跡地」草刈り

古田の草刈りがてら蓮華の種を採ろうと思い、「生駒高山・里山きゃんぱす跡地」へ出向きましたが、尾山さんがすでに草刈りをして下さっていました。種は刈り残された蓮華の花から後日採取することにして、橘園の草を刈ることにしました。 

                                     古田

                                    

                                     橘園


                                   

 

作業中、広場では魁惺が橘園に抜ける通り道の草刈りをしていました。広場の管理を土地所有者である生駒市がして下さることを期待しています。

 

                                     広場

橘の香が一帯に漂っていました。

 

西畑では蕎麦のこぼれ種が発芽していました。サラダに混ぜて食べようと少しつまんで帰りました。 

                              

                                     (岸)

5月11日 辰本さんと「京丹後竹野・海の家」へ

烏丸今出川のケーキ屋Rcakeの辰本さんと一泊二日で京丹後竹野・海の家(遊遊亭)へ行ってきました。

 

およそ40年ぶりに訪れた犬ヶ岬。昔はもう少し先まで行けたように思ったのですが・・・。

 

辰本さんは二日間カメラのシャッターを切り続けていました。彼の本業はカメラマンなのです。 いつか京丹後の写真集が出版されるのを楽しみにしています。   (岸)

「生駒高山里山きゃんぱす跡地」の草刈り

岸です。

52日に、たづさん、魁惺とともに水路脇の草刈りに行ってきました。現地に着いたときには、尾山さん、高木さん夫妻とそのお孫さんが草刈りをほぼ終えようとしていました。結局、共同作業での草刈りをしたのは駐車場横の水路脇だけでした。



例年この時期、4月下旬から苗代をつくり始め、5月の連休の最後に、春の野草料理の会と種籾まきのイベントを開催します。

種籾を播くと殿様蛙が待ってましたとばかりに産卵し、翌日には水を張った苗代の中に卵塊がたくさん浮かびます。田圃に水を張ると卵塊の中で孵っていたシュレーゲル青蛙のお玉杓子たちが畦の土の中から出てきて一斉に泳ぎ始めます。今年も卵塊の中で孵った小さなお玉杓子たちが田圃に水が入るのを待っているのだろうと思います。蛙たちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

古田では蓮華が満開で、日本蜜蜂の羽音がとどろいていました。この蓮華は堀亜理沙さんが差し入れた下さった種を播いたもので、去年は古田の面積の4分の1程度だったのですが、今年はほぼ全面にまで拡がりました。せっかくこのようは景観ができたのに残念です。ここから種を採って「南丹美山の里山きゃんぱす」に播こうと思っています。

 

魁惺が高山用水路の中に落ちて脱出できない蝮を見つけました。去年は1年間、蝮のみならず蛇を一匹も見ることはありませんでした(10月頃にSAから蝮らしき蛇をみたと報告がありましたが)。数年前までは蝮やヒバカリなどをごく普通に見かけたものです。里山きゃんぱすの活動を始めた頃は青大将や山楝蛇なども見かけました。とにかく蝮がいたことに安堵し、身柄を保護して近くの藪に逃がしてやりました。

 

尾山さんが西畑の一部の草を買って下さっていたので、残りの草を刈って帰宅しました西畑には、蟹江さんが持ってきて下さった島大蒜と阪大の塩崎さんたちと植えた博多八片が育っています。