岸基史ゼミ活動日誌

同志社大学経済学部岸ゼミナールです!里山きゃんぱす(奈良)での里山保全活動や物販活動など日々の活動を報告しています!

奈良県立民俗博物館

SAの福井です。
6/1金曜日、奈良県の伝統的な農林業の道具、技術を学ぶことを目的とし、
奈良県立民俗博物館へ、私福井と男前岸ゼミ3回生の八木君が行きました。

奈良県立民俗博物館奈良県大和郡山市矢田町に位置し、
常設店では奈良盆地の稲作、大和高原の茶業、
吉野の林業について1970年代頃の大幅な機械化が進む以前の作業と使われた用具を展示しています。
詳しくは県立民俗博物館のHP http://www.pref.nara.jp/bunkak/minpaku/ にて。
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私事になりますが、私は現在 狭義の里山となる農用林(農業のために利用される木)の利用、
そこからエリアを絞り、現在活動している高山ではどのような農用林の利用があったのかを研究しています。
実際我々は現地にて春は田植え(農業)、秋は収穫が終わると木の伐採、薪、堆肥作りをしてきました。
その中でも奈良県から伝統的に受け継がれている農業技術、
そしてそれに合わせた農用林の利用があったのではないかと考え、
まずはその農業技術、歴史から研究しようと、今回民俗博物館に足を踏み入れました。

館内は大きく3つ、�稲作、�茶、�吉野林業に分かれています。
�の稲作では予想通り、たくさんの農具が展示されています。
写真は「車踏み」。水位の低い水路から田に水を入れる用具。
大ヒヤケの年は何段にも車を仕掛けて、少ない水を確保するために努力したらしい↓
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やはり稲作をする農家にとって最も重要なことは「水」であると再認識しました。
我々の活動場所でも水をいかに確保するのかが問題になります。
棚田もその機能、目的は様々ですが、私自身は「水(水路)」であると考えます。
ある書籍によれば、古代の人々は木製のもろい農具しか使えず、
その農具では平地での稲作水路工事を行うことは不可能。
よって棚田(上のため池から順に水を下ろす)にしたのではないかと書かれていました。
                      ↓
(これに関しては勉強不足です。間違い、意見がある場合はコメントにてお書きください。)


同じように灌漑用のすっぽん☆↓
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さて水に関してもう1つ☆
「田舟」という農具があり、かつて大和川沿岸は水はけの悪い「ドタ」といわれる水田が多く、
こうした泥深い水田で刈り取った稲などを積んで、押し引きするのが「田舟」である。
水田には常に水が溜まった状態であるのが古代の水田で平安以降、
二毛作など普及するようになり乾田化になることで、
この農具の使用は極端に減ったとか。らしい。

この他にもよく見受けられる「千石とおし」(玄米の粒をそろえる、米と籾を分ける)や
トウミ(俵につめる前に風圧で軽い米と重い米を分ける)などがありました。
風圧を作る写真の扇風機みたいなものが主流だったようです↓
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この風景画が稲刈りの全ての様子を表しています。
この風景、よく似たものをどこかで見たことがあるような・・・・↓(2006年10月高山)
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さあ忘れてはいけないのが、「牛」です。
この博物館に牛馬耕のための工具もたくさん展示されていました。
しかし、疑問としては、鍬掻きをするのは写真からして「牛」だけでなく「馬」もあったということ。名前でも牛ではなく馬になっています。
実際確認したところ奈良盆地では江戸時代初期、馬耕という言葉がありました。
馬に代掻きさせているのか・・・↓でも牛でも馬と明記してたり・・・・
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さて続いては吉野林業について。
現在岸ゼミ三回生は「植林、植樹」に関して研究しています。
私福井はこのことに関して全く知識がなく、私自身も一からの勉強になります。
その勉強もかねて、この博物館にはたくさんの資料を見つけることが出来ました。
最も身近な植林として奈良県吉野林業の例がありました。
吉野は皆さんご存知のとおり林業地域で、吉野杉をはじめとして、
最も林業の栄えた地域として認識されています。
まずは植林について。主な流れとして
実取り→育苗→地明け→植え付け→養育 らしい。
育苗�鍬で畑を耕し、3・4月に実をまく。
育苗�適当な間隔で苗を植えなおし、山植え苗にするまでは3~4回床替えを行う。
植え付け:山地に~鍬で穴を掘り、杉、ヒノキの苗を植える。
下刈り:木の生長を守るため、雑草を刈る。
檜の苗↓
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何か当たり前のようですが、皆さん知ってましたか?
私は始めて知りました☆

実際伐採した木材を運搬するのはいつの時代も大きな問題だったんですね。
写真のように滑り台のようにして、一人で何本もの丸太を運んでいます。
この滑り台ルートを作ることも大きな林業の仕事ですね。
他には写真のように木材運搬イカダみたいなものもありました。↓
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ビデオ上映ではこの話も出てきました。
木材を運び出す作業を「搬出」(ダシ)といいます。
戦後の吉野林業では架線取りから中継して土場におろしました。
そして先程の木材の滑り台のことを「木馬」(キンマ)というらしい。
キンマ以外に地車ダシ、シュラだし、吊りもちだし、ヘリなどがあります。
この運搬がが現在の吉野林業を苦しめている要因であると私は考えています。
木材収集から運搬までルートが確立できず、コスト面の問題から業者も離れ、
安価な材木が外国から手に入る、この悪い?流れが林業の衰退を招いた・・・・かもしれない。
(この話はまた後日)。


最後に民俗民家を見て回りました。
この大和民俗公園には奈良県内で18世紀~19世紀に立てられた民家が復元されており、
その所在した地域に則して、「町屋」「国中」「宇陀」「吉野」に分けられています。
かまど☆美山の竹澤さんのご自宅にもよく似たものがありました↓
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うま宿などもあり(うまやどの皇子)、奥の間、中の間と福井にはなじみのない家でしたが、
ここでここまで福井に振り回され、疲れの表情を浮かべていた八木君が急に民家の中を走り回りました。
彼の実家にもこれによくにたものがあるらしい。
人形か本物かどっちかわかりませんね↓
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今回の民俗博物館での見学は私にとって久しぶりに心躍るものでありました。
自分達が今農業の端くれをしている、その一つ一つに「意味」があります。
この「意味」は古代からずっと続けられてきた伝統と、地形、気候の変化に伴ってその形を変えてきた農業、林業に携わる者達の「知恵」を見ることが出来たからです。
このい知恵を知ることでまたひとつ、自分達の活動の中に「意味」を見つけることができると私は感じました。これぞ「人の生業!」と本当に思いました。

最後に、これぞ里山!↓
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