今回の文章はだいぶ真面目に書きました。
いわば報告書のようなものです。
今年木下田はほかの田んぼとは違う方法で稲作をしました。
通称「不耕起」というものであり、田んぼの代掻きなどを行わない方法です。
なぜこれをやろうと思ったのかや具体的なことは以下の文章で書いてありますので、お時間あれば読んでいただけたら幸いです。
(注)以下の文章はできるだけ、客観的に書こうと努力をしております。
文章もところどころわかりにくい箇所があるかもしれません。
自分が読んでやろうと思ったことや考えを参考文献や参考URLに書いてはいますが、自分がその通りにできたかどうかは保証出来ません。
ここに書かれているのは仮説です。したがって反証されて、間違っていれば棄却されますのでご安心を。
→この文章は保険をかけるために書いております。
0 結論
耕さなくても稲は育つ。あとは稲にどれだけ多く穂を実らせるかが課題。
土壌は植物が根を張りやすいような、程よい柔らかさであり、それでいて十分な栄養がある土地であることが収穫を多くするための条件ではないか。
0‐1 自然農法を行った目的
稲(できるだけ多くの米)の収穫
できるだけ田んぼに人手がかからない方法を試みたかった。
→週1回の活動で里山で行う活動が田んぼにかかりきりになるとほかの作業にも支障が生じるため、できるだけ作業を省力化したかった。
1行ったこと、しなかったこと
1.1 行ったこと
・週に1回の水入れ
・不耕起
・週1回の草刈り(人手と時間の関係、そして夏のあまりの猛暑で長時間の草刈りは危険で行えなかった。)
・成苗を田植えの時に植えたこと。
(しかし、苗の育ちがまばらであったため、30%ほどは稚苗であった。)
・冬の時期にレンゲをまいた。
・圃場の整備(畔切、畔塗など)
1.2 行わなかったこと
・無肥料(鶏糞・油粕など一部を除けば入れていない)
・耕起(代掻き、田おこし)
2 仮説
・枯れ葉、枯れ草を積んである場所には雑草は生えてこない。
→これを年々行い、完成したのが自然農法ではないだろうか。
いわゆる雑草を防ぐ方法はさまざまあるが、ここでは腐植土と枯れ草の中間、または、枯れ草側に偏っている方が様々な草を抑える効果があるのではないだろうか。
・不耕起の稲作を行った場合
稲の収穫により、できた稲わらや夏に土手や田んぼの中に生えている草を刈り、それを田んぼの中に置いていく(鋤き込みはしない)ことによって、仮に毎年のこれらの草の量が同じであるならば、加算的にその枯草の層、川口由一氏の言葉を借りるなら、「亡骸の層」、いわゆる腐植土ができる。
これは不耕起だからこそ生じるのだろうか。
→慣行ならば、田おこしや代掻きによって、土の上と下を逆転させ、今まで隠れて生える可能性が少なかった種さえも発芽させる。ここに飛来によって生える種も考えなくてはいけないのだから、そこに生える可能性のある潜在発芽植物は数は限りない。
→これは自然農法にも言えそうだが、今まで積み重ねてきた枯れ草がマルチの役割を果たし、生えてくる草花が減るかもしれない。
・慣行農法で行われる土を柔らかくする作業を自然農法では植物、動物にしてもらう。
→そのやり方はさまざまにある。
福岡正信氏ならば、稲と麦とクローバー、そしてそこに集まる様々な微生物や動物によって。岩澤信夫氏ならば、冬の冬季湛水による一年を通しての水田生態系の構築とそこの栄養自立供給システムの構築、イトミミズの発生とそれによる雑草の発生の防除、そこに不耕起栽培がおこなわれ、土は耕される。(通称「トロトロ層」が雑草の発生を防ぐ)
3 なぜ木下田の稲は大きくならなかったのか
・稲が雑草に光を遮られた
→稲の成長度合いを見ると、積極的に草を刈っていった南側3分の1と北側3分の1は穂の実りは少なかったが、稲の成長は見られた。しかし、真ん中3分の1は草刈りが追い付かず、ほとんどが雑草の生えている状態となっていた。ここが最も成長が少なく、稲が小さい、かつ、穂の実りも最も少なかった。このことから、雑草の影響が、稲の成長を遮ったのではないかと考えられる。(日の光の当たり具合はおそらくどこも同じであったので、大した影響はないと考えられる。)
・地力がなかった
→今回は無肥料でどこまで成長するのかを見ることも目的であった。
地力をどうやって計測するかは脇に置き、不耕起初年度で無肥料で稲作をした場合には、その土地の過去の時間の積み重ねもあるだろうが、今まで、化学肥料や鶏糞、油粕で成り立っていた稲作がその栄養源を引き算して考えるのだから、地力が足りないことは考えられる。
ここに自律的栄養塩供給システム(『ここまでわかった自然栽培』の言葉を参照)を構築できるかがカギとなるのではないかと考えた。
→これを作り出すための取り組みが冬季湛水と米ぬか投入による冬季湛水である。
ほかにもマメ科の植物をマルチとして生やす(福岡正信氏の方法)など、方法はさまざまにある。
一概にどれが正しいというものではない。その土地の地理的な条件や人員の問題を考慮に入れたうえで、どの方法を採択するかを考えるべき。
4 雑草は生えてはきたが、その植生は変わった。
・通常の水田ならば、コナギやヒエが目立った。
→古田や奥田、広田(の広畑側半分)には上記の植物が数多く生えていた。
・不耕起水田では、コナギはほとんど生えてこなかった。
生えてきた場所は、畔を作るために土を掘り返した場所と、水田用の草刈り機によって表面を削った場所であった。
・鍬も入れなかった場所には全く生えてこなかった。
→おそらく水で過剰に湿った畑にコナギが生えてこないことと一緒。
・生えてきた雑草(見た感じや覚えている限りで)
イヌビエ、ミズキンバエ(?)、イ、スズメノヤリ、イトイヌノヒゲ、カヤツリグサ科の何か、ホタルイっぽい何か、イボクサ、カワラケツメイ、
・現在生えている雑草、クチナシ草(?)、血止め草の何か(おそらくノチドメ)、畔菜っぽい草
5 稲が雑草を抑えている。
・稲ありの場所と稲なしの場所では、生えている雑草が異なっている。
・稲を育てるために、稲以外の雑草に目が向きがちであったが、稲ですら、生態系の一部の植物だと考え直すならば、稲がほかの植物との競争や共生を起こしていてもおかしくない。
実際に、現在の木下田では稲が生えていない場所と稲が生えている場所を比較すると、カワラケツメイの量がはっきりと違っていることがわかる。
6 木下田の大雑把な年間スケジュール(去年の冬から今年の秋にかけて)
冬:前面にレンゲの種子をまく
→福岡正信氏の米麦連続栽培のクローバーを模倣しようとしたが、中途半端になってしまった。
春:畔作り
夏:田植え、草刈り
秋:収穫(予定だったが、猪にすべて食われる)
7 これからの木下田の大まかなスケジュール
秋:稲刈りとその稲を田に敷く(鋤き込みはしない)
他の表面に生えている草を刈る
土手の草を木下田へ敷く
麦播き
→麦にも木下田を耕してもらう
冬:麦踏み
春:夏の稲の収穫に向けての準備
夏:田植え
→成苗を植える
成苗とは葉が5.5葉ある稲の苗のこと
ほかの地域の人たちはどうかは知らないが、一般的には2.5葉の稚苗を植えるとか
慣行農法の場合
地面を柔らかくする(荒代掻きなど)
田の上層にたまった栄養素が耕転で地中へ
そこから代掻きで地面をとろとろにする
水の流れは上から下へ→地表から地中へ
→たまっていた栄養は下へと流れていってしまう。
詳しくは(【超重要】無農薬・無肥料・不耕起でお米ができるのはなぜ?これをみれば全てが分かる!! - YouTube)
8 まとめ
自分が試みて、理想とした自然農法は失敗に終わったが、学ぶことは多かった。
自然農法やそこから派生した方法は肥料のとらえ方が全く違っていた。通常「肥料」という言葉は植物に直接与える「点滴」のようなものだとイメージが浮かぶ。しかし、本当は土壌に生息する生物に働きかけるための肥料であるということだった。
また植物、特に野菜や穀物は人が手を加えて何とか育つようなイメージを持っていた。しかし、実際は自分たちが(まったくとは言わないが)手を加えなくても育ち、大きくなるということを改めて実感した。
参考文献
『わら一本の革命』 福岡正信著
『無[Ⅲ]自然農法』 福岡正信著
『自然に還る』 福岡正信著
『緑の哲学 農業革命論』福岡正信著
『究極の田んぼ 耕さず肥料も農薬も使わない農業』 岩澤信夫著
『不耕起でよみがえる』岩澤信夫著
『自然農』 川口由一著
『誰でも簡単にできる!川口由一の自然農教室』 川口由一監修 新井由紀・鏡山悦子著
『ここまでわかった自然栽培』 杉山修一著 (これは今読んでいる途中)
『完全版 農薬を使わない野菜づくり』 徳野雅仁著
参考動画
瀬戸内まいふぁーむ
瀬戸内まいふぁーむ 自然農・食事・健康・工芸品づくり (setouchimyfarm.com)
「耕さない田んぼが環境を変える」(1~6)
福岡正信氏関係
福岡正信自然農園 official site | 愛媛県伊予市の農園 (f-masanobu.jp)
川口由一氏関係
自然農関連リンク - 赤目自然農塾公式ウェブサイト (jimdofree.com)